コロナあふれる未来:石を投げないでください!

 ふとした気分で。三半世紀昔に同人誌に書いた評論を読んでいました。
『半核の世界』
 実は実話、高校時代に学内同人誌に同じタイトルで同じテーマのエッセイを書いていた、そのSF知識援用天婦羅衣着膨れバージョンですが。要するに、どんだけ核兵器があろうと(昨今では忘れられた感さえありますが、今もなお、爆発力・放射能力からすれば、地球上の生命を何十回も抹殺できるだけの量が残存しています。百回殺せる量が半減しても五十回です。五十発百発です)、つまりは全面核戦争には至らないかもしれない。論理的結論ではなく、希望的観測として、そういったことを述べています。

 叱るに。ほんま、西洋カルタも四七筒も叱り飛ばしてやりたいわ。然るに、米中対決が鮮明になってきて、ホンマもんの戦争が杞憂を超える蓋然性を帯びてきました。
 まさか。両国とも2億人死んでも、こっちはまだ10億人以上残る。こっちのほうが国土が広いから、核ミサイルでカバーしきれないだろう。ついでにスプラッタリー諸島にしてくれるわ。空母も原潜も動けない今がチャンス! なんてMAD(Mutual Assured Destruction)真っ青なこと考えて、実行してくれませんように!!!!

 それはそれとして(出来るか!)。
 『半核の世界』の中で、当時のSFとか当時でも「すこし古い」小説とかを取り上げて、「現実はこの想定を凌駕している」とか書いていますが。『半核の世界』そのものが古色瞭然なわけです。
 で、思ったのがタイトル。
 かつては、コロナといえば、ある種の人間は太陽コロナを真っ先に思い浮かべました。別種の人間(一般大衆ともいう)は、『新型コロナ』を思い浮かべました。もちろん、自動車のコロナですよ。
 TOYOTAは、今でこそ同業他社と同じく、わけわからんカタカナ車名ですが、その昔は「冠」コンセプトで統一されていました。
 クラウン=王冠 コロナ=ラテン語で「冠」 カローラ=花冠 カムリなんてもじりもありました。
 それはさて置き。うん、今度は置いても大丈夫。

 つまり。「コロナあふれる未来」とは、「未来はバラ色」とか「人類の進歩と調和」とかいったコンセプトと同義だったのです。2019年までは。
 画像にすると、こんなだったのです。

superio-solar-corona.jpg

 メイン画像はhttps://earthreview.net/から借用。
 切貼の「初代コロナ」はhttps://ps-af.facebook.com/ToyotaMotorCorporation/です。

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